東京高等裁判所 昭和39年(う)900号 判決
被告人 鈴木巖
〔抄 録〕
控訴趣意第二点について。
所論は、原判決が本件につき準強盗罪の成立を認めなかつたのは、事実を誤認したものである、というのである。
よつて按ずるに、原判決が本件準強盗罪の成立を認めなかつた所以は、曩にも判示したように、被告人が原判示窃盗後筒井敬子に対してなした所為は、未だ準強盗罪の成立に必要な暴行又は脅迫に該らない、というにあるものと推認されるので、先ずこの点につき検討するに、記録並びに当審において重ねてなした事実取調の結果を綜合すれば、被告人は、原判示窃盗後、同被害者方二階調理教室内にあつた料理用白衣を身にまとい、さらに白布片で覆面をするなどしたうえ、その場にあつた刃渡約二一糎の菜切包丁(昭和三九年押第三二七号の一)を片手に携帯して右被害者方三階に赴き、長女の筒井敬子(当時二一年)の寝室に立ち入ろうとしてそのドアを押し開けたところ、折から右寝室のベツドで独り就床していた同女がその物音を訝つて室内の電燈を点灯し、その瞬間被告人の異様な姿態を認めて大いに驚き、大声で悲鳴を発したので、突嗟に同女を制圧しようと計つて室内に飛び入り、片手に前記庖丁を持つたうえ(もつとも同女は驚愕の余り右庖丁の存在に気ずかなかつた)、両手を同女の方に差し出すような恰好で無言のまま同女の傍らに駆け寄り、ベツド上に上半身を起こして恐れおののいている同女にそのまま覆い被さるような態勢をとり、さらにその際、勢い余つてか自己の片手を同女の右肩頸部附近に触れる所為にも及んだため、同女はこれに畏怖してベツド上に身を倒しながら再度大声で悲鳴を発するに至つたので、被告人は家人等の来集を恐れて逸早くその場を逃走したものであることが認められる。以上認定の事実によつてみるに、被告人は、深夜、その身を白衣で包み、さらに覆面をするなどしたうえ、片手に菜切庖丁を携帯して、若年の女性が単身で就床している寝室内に突如押し入り、同女がこの異様な闖入者に驚愕して悲鳴をあげるや、これを制圧するため、片手に庖丁を持つたまま両手を同女に差し出すような恰好で同女の傍らに駆け寄つたうえ、同女に覆い被さるような態勢を示し、さらに勢い余つてか片手を同女の右肩頸部附近に触れるに及んだものであるから、たとえその際被告人が同女に対し格別の脅迫的言辞を弄さなかつたとしても、これにより同女が極度の畏怖状態に陥入つたであろうことはもとより見やすい道理であるばかりでなく(もつとも同女は被告人の所持する菜切庖丁の存在に気ずかなかつたものであるが、そのことは却つて、同女が高度の畏怖状態に陥入り正常自由な意思状態になかつたことの証左となり得るものである)、一般社会通念の見地からしてもこれをもつて同女の意思を抑圧するに足る脅迫行為と認めるに十分である。而して被告人の右所為は、被告人が本件窃盗の所為に及んでいる間に被害者方一階出入口の扉が施錠され、予定していた逃走口を失うに至つたところから、このうえは被害者方家人を脅迫して右出入口を開扉させもつて同家から無事逃走して逮捕を免れようとの意途に発したものであることが記録上明白であるから、本件はまさしく準強盗罪をもつて同擬さるべき事案であり、これと異なる見地に立つ原判決は、判決に影響を及ぼすべき事実誤認を犯したもので到底破棄を免れないものである。論旨は理由がある。
よつて本件控訴は理由があるから、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により当裁判所において左記のとおり自判することとする。
(罪となるべき事実)
被告人は昭和三八年一二月一九日夜、東京都千代田区神田須田町二丁目八番地筒井ビル内筒井泰方二階事務室において、同女所有の現金一〇〇円及び内田幸所有のガスライター一個(時価一、五〇〇円相当)を窃取したのち、翌二〇日午前〇時過頃、同ビルから逃走しようとしたのであるが、その間同ビル一階の出入口の扉が施錠されてしまい、予定していた逃走口が閉鎖されるに至つたので、このまま同ビル内に居残つて右出入口が開扉されるのを待つたり、或いは右出入口を損壊して逃走を計るときは、容易に家人等に発見されてやがては逮捕されるに至るものと苦慮し、このうえは同女方家人を脅迫して右出入口を開扉させ、もつて同ビルから逃走して逮捕を免れようと企て、同女方二階調理教室内にあつた料理用白衣をまとい、さらに白布片で覆面をするなどしたうえ、その場にあつた刃渡約二一糎の菜切庖丁(昭和三九年押第三二七号の一)を携帯して同女方家族がその起居に使用している同ビル三階に赴き、同女の長女である筒井敬子(当時二一年)の寝室に立ち入ろうとしてそのドアを押し開けたところ、折から右寝室で独り就床していた右敬子がその物音を訝つて室内の電燈を点灯し、その瞬間被告人の異様な姿態を認めて騒ぎ出すや、その反抗を抑圧するため、矢庭に室内に飛び入り、片手に前記庖丁を持つたまま両手を同女に差し出すような姿勢で同女の傍らに駆け寄り、ベツド上に上半身を起こして恐れおののく同女にそのまま覆い被さるような気勢を示すなどして同女を脅迫したものである。
(兼平 関谷 小林)